2015年1月17日土曜日

『日本書紀』の朝鮮半島関連記事① 


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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

『日本書紀』の朝鮮半島関連記事①

 「朝鮮半島記事抜粋」

 『日本書紀』における、

 初代神武(じんむ)天皇から第24代仁賢(にんけん)天皇までの

 記事の内、朝鮮半島との外交記事の抜粋である。

 この時代の朝鮮半島は

 新羅(しらぎ)、百済(くだら)、高句麗(こうくり)の3国と

 伽耶(かや)諸国からなっていた。(三国時代)

 『日本書紀』では

 新羅は(しらき)と読み、

 高句麗は高麗(こま)と表している。

 加羅(から)または任那(みまな)と記されているのは、

 伽耶諸国または伽耶の一部のことである。

 尚、これらの記事について、

 新羅、百済、高句麗、伽耶のそれぞれを区別する為に、

 国名を特定出来ない韓(から)という記事は除いた。

 全部で55件ある。

 『日本書紀』の朝鮮半島関連記事 

 【01】崇神紀65年7月条:

   六十五年秋七月、

    任那國遣蘇那曷叱知、令朝貢也。

    任那者去筑紫國、二千餘里。

    北阻海以在鶏林之西南。

   六十五年の秋七月、

    任那国、遣蘇那曷叱知を派遣して、朝貢してきた。

    任那は筑紫国を去ること、二千余里。

    北、阻海を阻てて鶏林の西南に在り。

 【02】垂仁紀2年是歳条:

        ◎是歳、任那人蘇那曷叱智請之、欲歸于國。

     蓋先皇之世來朝未還歟。

     故敦賞蘇那曷叱智。

     仍齎赤絹一百疋、賜任那王。

     然新羅人遮之於道而奪焉。

     其二國之怨、始起於是時也。 

    【一云、御間城天皇之世、額有角人、乘一船、

     泊于越國笥飯浦。

     故號其處曰角鹿也。

     問之曰、何國人也。

     對曰、意富加羅國王之子、名都怒我阿羅斯等。

     亦名曰于斯岐阿利叱智干岐。

     傳聞日本國有聖皇、以歸化之。

     到于穴門時、其國有人。

     名伊都都比古。

     謂臣曰、吾則是國王也。

     除吾復無二王。故勿往他處。

     然臣究見其爲人、必知非王也。

     即更還之。

     不知道路、留連嶋浦、自北海廻之、

     經出雲國至於此間也。

     是時遇天皇崩。

     便留之、仕活目天皇逮于三年。

     天皇問都怒我阿羅斯等曰、欲歸汝國耶。

     對諮、甚望也。

     天皇詔阿羅斯等曰、汝不迷道必速詣之、

     遇先皇而仕歟。

     是以改汝本國名、追負御間城天皇御名、便爲汝國名。

     仍以赤織絹給阿羅斯等、返于本土。

     故號其國謂彌摩那國、其是之縁也。
  
     於是、阿羅斯等以所給赤絹、藏于己國郡府。

     新羅人聞之、起兵至之、皆奪其赤絹。

     是二國相怨之始也。

    ◎是歳、任那人蘇那曷叱智請さく、

     「国に帰りなむ」とまうす。

     蓋し先皇の世に来朝て未だ還らざるか。

     故、蘇那曷叱智に敦く賞す。

     仍りて赤絹一百疋を齎たせて、任那の王に賜す。

     然して新羅人、道に遮へて奪ひつ。

     其の二の国の怨、始めて是の時に起る。

    【一に云はく、御間城天皇の世に、額に角有ひたる人、

     一の船に乘りて、越の国の笥飯浦に泊れり。 

     故、其処を号けて角鹿と曰ふ。

     問ひて、曰はく、「何の国の人ぞ」といふ。
 
     対へて曰さく、

     「意富加羅国の王の子、名は都怒我阿羅斯等。

      亦の名は于斯岐阿利叱智干岐と曰ふ。

      伝に日本国に聖皇有すと聞りて、帰化く。

      穴門に到る時に、其国に人有り。

      名は伊都都比古。

      臣に謂りて曰はく、

      『吾は是の国のなり。

       吾を除きて復二の王無。故、往他処に往にそ』

      といふ。

      然れども臣、究見其の爲人見るに、

      必ず王に非じといふことを知りぬ。

      即ち更還りぬ。

      道路を知らずして、嶋浦に留連ひつつ、

      北海より廻りて、

      出雲国を経て此間に至れり」まうす。

     是の時に、天皇の崩りたまふに遇へり。

     便ち留りて、活目天皇に仕へて三年逮りぬ。

     天皇、都怒我阿羅斯等に問ひて曰はく、

     「汝の国に帰らむと欲ふや。」とのたまふ。

     対へて諮さく、「甚望し」とまうす。

     天皇、阿羅斯等に詔せて曰はく、

     「汝の道に迷はずして必ず速く詣れらましかば、

     先の皇に遇ひて仕へたてまつらし。

     是を以て、汝が本国の名を改めて、

     追ひて御間城天皇の御名を負りて、

     便ち汝が国の名にせよ」とのたまふ。

     仍りて赤織の絹を以て阿羅斯等に給ひて、

     本土に返しつかはす。

     故、其の国を号けて彌摩那国と謂ふは、

     其れが是の縁なり。

     是に、阿羅斯等、給はれる赤絹を以て、

     己のが国の郡府に藏む。

     新羅人聞きて、兵を起して至りて、皆其の赤絹を奪ひつ。

     是の二の国の相怨むる始めなりといふ。


 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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